2007/10/22

アシジの聖フランシスコ


ー心のともしび10月号 湯川千恵子「アシジの聖フランシスコ」よりー

イタリア・中世の聖人、
聖フランシスコの伝記映画「ブラザーサン・シスタームーン」の中で若いフランシスコが壊れた教会を修復しようとレンガを積みながら歌う歌があります。

http://jp.youtube.com/watch?v=D-HabI9ez9M

「夢をまことにと思うならば、
焦らずに築きなさい。
その静かな歩みが遠い道を行く。
心を込めれば全ては清い。

この世に自由を求めるならば、
焦らずに進みなさい。
小さなことにも全てを尽くし、
飾らない喜びに気高さが住む。

日毎に石を積み続け
焦らずに築きなさい。
日毎にそれであなたが育つ。

やがて天国の光があなたを包む。」


私はこの歌詞が大好きです。
くじけそうになる私を優しく励まし、チャレンジする勇気を与えてくれるからです。

フランシスコは裕福な家の陽気で遊び好きな息子でした。
勇んで参加した戦場で、悲惨な戦争の現実を体験し、身も心もぼろぼろになって故郷のアシジに帰り着きます。

中世の腐敗した既存の教会に絶望し、まことの信仰を求めて魂の放浪を続けていたフランシスコは、ある日、荒れ果てた教会の十字架上から「私の教会を建て直しなさい」というキリストの声を聞きます。

単純にその教会を立て直すことだと思ったフランシスコは、神様を讃えて歌いながら、一人でレンガを積み重ねていきます。その姿に心打たれた友人が一人、また一人とフランシスコの作業に加わり、やがて愛と喜びに溢れる新しい信仰共同体へと成長してゆきます。

そしてフランシスコたちは中世の教会を建て直してゆくことになります。

どんな小さなことでも、神様への愛をこめて行えば、神様がそれを生かして使われるということ、そして焦らずにその日にやるべきことを精一杯やっていれば、いつかは必ず良い実を結ぶことができるということをフランシスコの歌は教えてくれています。

2007/10/18

静かな旅立ち


肝不全で末期のホームレスの男性Aさん。

Aさんが救急車で運ばれてきた時、長いことお風呂に入っていなかったのかすごい臭いだった。こんなんじゃ何もできやしないとさっそく師長みずからお風呂に入れていた。

そして何日か後にAさんは旅立っていった。

みよりもなく誰にも看取られることなく孤独に亡くなっていった・・・とみんな思っていた。

けれども、デス・カンファレンス(亡くなった患者さんについて話し合い、ターミナル・ケアについて振り返るカンファレンス)でパストラル・ケアのシスターが、実はAさんとこんなやり取りがあったんだと話してくれた。

Aさんが亡くなる前々日の夕方。

Aさん 「シスター・・・天国って本当にあるのかねえ」

Sr 「私はあるって信じてるわよ。どうして?」

Aさん 「あったらいいなあ・・・天国が本当にあったらわしもそこに行きたいなあ。わしでも天国に行けるかなあ。」

Sr 「そうねえ、お祈りをしてみたらどうかしら?あなたがキリスト教の病院に運ばれてきたのもご縁というものよ。」

シスターとAさんが話していたとき、ちょうど病院の隣にあるシスター達が住んでいる修道院でお祈りの時間を知らせる鐘がなったという。

Aさん 「あれは何の音?」

Sr 「あれはねえ、神さまにお祈りをする時間ですよって知らせる鐘なのよ。」

Aさん 「へえ・・・。なあ、シスターお祈りってどうやるんだ?」

Sr 「そうねえ、あなたも神社やお寺にいったことがあるでしょ。そこで手を合わせてお願いごとをしたように、手を合わせて神さまに向って今の気持ちをそのまま言えばいいのよ。」

Aさん 「お祈りってわしもしていいのか?」

Sr 「誰でもしてもいいのよ。私もあなたのためにお祈りしてるわね。」

そして、翌日シスターがAさんのとこにいくと、Aさんは顔を輝かせてこう言ったという。

Aさん 「わしなあ、あの後ずっとお祈りしてたんだ。一晩中あんたのとこの神さんに祈ってたんだよ。」

Aさんはシスターと話した後一晩中神さまに「天国に行けますように」とお祈りをしていたという。

そしてその翌日、Aさんはとても静かに穏やかに息を引き取った。

私は受け持ちになることもなかったので、その患者さんについてほとんど知らなかった。 けれどパストラルケアのシスターからこの話を聞いてびっくりした。

そんなことがあったんだ・・・。

なんだかうまく言葉が見つからない・・・。
ただイエスの存在を感じた。そして、よかったと思った。

Aさんは一人じゃなかったんだ。イエスがその人と共にいてくれたんだ。
そして「天国に行きたい」というAさんの望みは確かに届いたんだ。

本当によかったと思った。

イエスはいつも働いている。 特に孤独な人、苦しんでいる人、見捨てられた人の中で。

神様の憐れみを最も必要とする人の中で。

2007/10/13

生きるために 生きる


血液内科にいくとよく目にするポスターがある。 骨髄バンク登録を呼びかける本田美奈子さんのポスター。

急性骨髄性白血病で2005年の暮れになくなった本田美奈子さん。
本屋さんでぶらぶらと過ごしているとちょうど彼女の本が目に入ったので、立ち読みしてしまった。

本の最後に「Wish」という歌の歌詞がのっていて、その歌詞を読んで泣きそうになった。

「Wish」

ささやかな幸せと 好きな歌を信じて
心おだやかな朝
書き出した手紙

いまはすべて 輝く
いまがすべて 眩しいほどに

駆け回るこどもなら
素直に感じること
風が気持ちよいこと
ただ忘れていた

日々はすべて 生まれる
日々はいつも 新しくなる

あたりまえのことばたち
「ありがとう」も「おはよう」も
あたりまえの ことばかり
美しく思える そんな日がある

振り向けば そばにいて
おしゃべりして 
笑って ひとにつながりながら
いま生きていること
時はそっと教える
時がきっと愛おしくなる

あたりまえに 来る朝も
光る海も 雨の街も
あたりまえの ことなのに
かけがえのない日々

生きる意味は 生きること
探しながら 迷いながら
生きるために 生きること

かけがえのない日々
ただ抱きしめて
いま そこにある幸せを・・・・


「生きるために 生きる」という言葉がとても心に響いた。
苦しみの中で生き抜くために、そして最後の苦しみを乗り越えようとした人の言葉だと思った。

よく早く死んでしまいたい。命を絶ってしまいたいと訴えてくる患者さんがいる。実際、病気を抱えながら生きている患者さんはすごいと思う。私だって、あのような苦しみを抱えてたら、死にたいって思うに違いない。

患者さんの訴えに共感するということは大切な看護の一つ。 けれど彼等の苦しみを考えようとすると、そのあまりの大きさに、どこかで彼等の苦しみを共感しようとする自分をシャットアウトしないと毎日の業務をやっていけそうにない時もある。

でも夜勤で時間の空いているとき、時々、そういった訴えをしてくる患者さんの部屋にいって、話を聞いて、そして私の見てきた、生き抜いた人たちの話をする。その人の生き様、死に様をほんの少し。

生きることはつらいし、苦しい。

けれど、途中で投げ出さず、ただ生き切るという事は、本当にすごいこと。
生きているだけでも、何かしら得るものがあるということ。そして生き抜いた人の顔は本当にきれいで、輝いていたということ。

ただそれだけを話す。

彼等の苦しみを味わってもいない私がこんなことを言うのもおこがましいのかもしれない。でも苦しみの中で生きるためには目的が必要だ。その目的を与えようともせずに、ただ生きることを求めることの方が残酷なような気がして話さずにはいられなかった。

「生きるために 生きる」ということは素晴らしい目的だと思う。

実際生き抜いた人たちから感じる、時の輝き、命の輝き・・・それを確かに感じてきたから。

「人はみんな生きるために生まれてくる。だけど、さまざまな困難に直面したとき、人は悲しみに打ちのめされ、絶望してしまう。でもあきらめないでほしい。希望を失って立ち止まってもいい。でもゆっくりでいいから、もう一度勇気を出して、前を向いて歩き出そう。だってあなたはそのいのちを輝かせるために、生まれてきたのだから」

聞く人によっては、甘っちょろい戯言にも聞こえるかもしれない言葉。けれど、私にはとっても響いた。 やっぱり生き抜いた人の言葉だから。

命の輝き・・・そう、私は人の命を輝かせるための援助ができるナースになりたいな。
そのためには、まずは、自分がきちんと生きなければね^^。
私の命を輝かせてくださる方につながりながら。