2009/03/24

老いと記憶

認知症の患者さんと丁寧に接することで得られること。
今さらながらその恵みの大きさをかみしめてる。
でも他人だからこそ、そう思えるのかも。

家での介護はほんとに大変。

自分の親が認知症になってしまったら、 自分のことすら忘れてしまったらと思うとたまらない。

でも、多くの人が否定したがる「老い」という中にこそ、 神さまの恵みがたくさん詰まっているような気がしてならない。

そのことにもっともっと気づいていきたい。

最近出合った本。
素晴らしい本だと思った。

「100歳の美しい脳―アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち」



アマゾンのブックレビューから・・・

※ ※ ※

著者で医師のデヴィッド・スノウドンはひょんなことから 修道院のシスターたちを対象に、老いと健康の問題、そして アルツハイマーの問題の研究にとりくむことになる。 本書はその研究におけるさまざまなドラマと最新の結果を 報告したものである。

一人の科学者として「研究対象」に対しては客観的に接しなければ ならないという思い込みは、シスターたちと接する中で 解きほぐされていく。

105歳のシスター・マシアにミトンをつくってもらった著者はこう いっている。

「100歳を超えるシスターとであったことで、それまで抱いていた 時間や老化の概念、それに幸せな人生に対する考え方が どれほど変わったことか。小さなミトンをみるたびに 私はその思いを新たにするのだ。」

年をとっても気持ちの持ちようや、自分のおかれた環境への 態度によって人間は幸福でありつづけられる。

※ ※ ※

アルツハイマーという病気は、忘れてしまいたい過去ばかりか、愛する人々をも忘れていく、そしてそれに自ら気がついていく時の恐怖。 人類最大の病気かもしれないと、思ったものだ。

けれど文中の一人のシスターの言葉が心にしみた。

「たとえ私が神様を忘れても、神様は私をおぼえていてくださる」

※ ※ ※

イザヤ49:15を思い出した。

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。 母親が自分の生んだ子を憐れまないであろうか。 たとえ女たちが忘れようとも 私があなたを忘れることは決してない。 見よ、わたしはあなたはをわたしの手のひらに刻みつける。」

ああ、本当に神さまに信頼する人生って素晴らしいね。

2008/07/09

ARISE

カンファレンスで流れた映像がYOUTUBEにUPされてました!

嬉しい^^。



この映像誰がつくったんだろう??
チャーチのみんなすごいなー。

イザヤ60:1-3の箇所がいつになく心に響きました。

そしてちょっと前、Rivaival Times Japan(リバイバル新聞)に日本に対する啓示を受けた人の記事が載っていました。

「2年前、私の妻ディアが日本について祈っていたときに日本の旗(日の丸)のイメージが与えられ、同時にマラキ書4・2の『・・・義の太陽が昇り、その翼には癒しがある・・・』という御言葉が与えられました。

鍵は日本の人々が神の愛と癒しについての啓示を受け取ることです。
それを掴んで立ち上がるとき、そのビジョンが増加し、他の国々にも影響を与えていきます。そして日本は他の国々に宣教師を派遣する鍵となる国となります。

長年アジアの人々は西洋諸国からの宣教師に頼ってきました。
しかし、私は今極東の宣教のムーヴメントが起こると強く感じます。

それは力と平和と義のムーヴメントであり、同時に「喜び」が鍵となります。

日本において「喜び」が解き放たれると感じます。
これまで喜びを抑制してきた鎖のようなものが打ち砕かれるときが今です。
そのことを通して癒しが解き放たれるのです。

多くのクリスチャンたちは聖書を最初に読んだとき、『イエスの行った奇跡は、イエスだからできたんだ』と間違った読み方をして、神の働きを制限してしまいます。 そして『聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます』という聖書箇所をさらりと読み飛ばしてしまいます。

けれども啓示を一度受け止めるなら、日本人のクリスチャンたちは止めることのできない勢いを得ます。」

自分の国のことだけにこう言ってもらえると嬉しい^^。

さらにカンファレンスにきてたアンドリューさんは日本のことを「眠れる巨人」だと言っていた。

だから、神さまは日本に対して「起きよ」って言ってるんだね。

でも、何故か日本に対する預言を受けている人って日本人以外の人が多い。何でなんだろう?
それに日本人以外の人が日本のために祈ってくれてるって・・・なんだか不思議な気持ち。

みんないい人だなー。本当にどうもありがとう!

私は自分ことでいっぱいいっぱいで自分の国のことさえもちゃんと祈ってないよ。
ほんと日本人こそ(私も)がもっともっと自分の国を愛して、この地に神さまをもたらしていかないとね^^。

疑い深い自分から早く卒業して、 神さまの言葉を信じて、ちゃんと受け止めていきたい。
聖霊の賜物をいつも追い求めていきたい。
私も眠いけど起きなくちゃねー

前にのぼるさんがメッセージで言っていたように、
起きるっていうのはただ目を開けることではない。
「起き上がって、動け」っていうことだ。

気持ちのいいお布団から抜け出すのはなかなか決断力のいること。
目覚ましアラームが・・・とめなくちゃ。じゃなくて、起きなくちゃ。

神さまー。

2008/02/25

看護は祈り


最近夜勤がきつい。
そして人数が少ない夜勤中の急変はかなりきつい。

後輩が受け持っていた患者さん。
消灯過ぎからなんだか様子がおかしいと言っていて、結果的にナルコーシスだったんだけど、もともと発達遅滞のある患者さんで、これが普通の状態なのか、レベルダウンなのか判断つかず、SATもよかったので余計に異常だとわかりづらかったみたいだ。

とりあず当直医にCallして、血ガス、頭部CT。
血ガス結果をみてあわてて緊急挿菅。
(兎にも角にも、呼吸器系患者さんのレベルダウンはCO2ナルコーシスを疑うべし!)

主治医も飛んできて、家族も呼んで。

病院にあるレスピが全部出払っていて、こんなのまだあったのかというような古い型のレスピしかなく、あろうことにそれがうまく作動せず、モニターの波形を見るとだんだんST上昇。(げげっ!)

アンビューをもんでいる間、新婚さんのMEさんを夜中に呼び出して(悪いね、申し訳ないね・・・)なんとかレスピにのせることができたようだ。

先輩と後輩が夜中の0時に挿菅やらレスピ装着におわれている中、私は外回り。 0時はシメの時間なので余計に忙しい。

ようやく落ち着いたのは5時過ぎ。
ゆっくりと休む間もなくもうバイタルをとりにいかなくちゃいけない時間。

今度は朝の喧騒を突っ走り、日勤さんにバトンタッチし、すべてが終了した頃には精魂尽き果てました・・・

つ、疲れたー! 
(でも勤務終了後、私の外回りが評価されて少しうれしかった。)

けれども、こんなにもきつかったのに、次の夜勤の時はさらにパワーアップしていた・・・。

毎年のことだけど1月2月は重症の患者さんが多い。
呼吸器系、循環器系の疾患をもつ患者さんにとって今の時期はこの冬乗り越えられるかどうかの瀬戸際なのかもしれない。

こっちもいつになく重い連日の勤務に少々へばっております。

横になったが最後、強力磁石でも床についてるかのようで、
立ち上がることができない。

けれども患者さんも家族も本当にがんばってると思う。

呼吸不全でレスピをつけているおじいさんの患者さんがいる。。
挿菅チューブが入っているので、話すことはできないけど、ちょうど目を覚ましていたので、患者さんに「奥さん美人だね^^。早くよくなって帰ろうね。」なんて声をかけるとニカッと笑ってくれた。

やっぱり帰りたい場所がある人って強い。

お互い今が踏ん張りどころだ。

そしてこんな時だからこそ、仕事前にいつもよりちょっと長めにお祈りをして、自分のいる病棟に神さまを呼びます。

病棟の廊下に、患者さんの部屋に、ナースステーションに。
そして今、神さまを最も必要としている患者さんのそばにいてくれるように、お祈りの中でJesusに頼みます。

これがかなり効く。

これをするのとしないのとでは病棟の雰囲気がまったく違ってくる。

お祈りも看護の一つ。
患者さんにとっての「最善」のために祈ること。
そして命そのものである神さまを患者さんのそばにもたらすこと。
これは大事な看護の一つだと思う。

「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)

以前ナイチンゲール記章を受けた
今は亡きSr寺元が「看護は祈り」だと言っていた。

祈りに始まり、祈りに終わる。
私の看護もそうでありたいと思う。

2007/11/24

ぬくもり



私の住んでいる病院の寮には
北海道に、青森に、大阪に、
全国津々浦々
地方から入職された人たちがたくさん住んでいます。
・・・ということは、旬になると全国の特産品がたくさん届けられてきます。

私が夏にお母さんのトマト攻撃で悲鳴をあげたように
北海道出身の私の病棟の仲間は最近ジャガイモ、玉ねぎ20kg!
で(うれしい?)悲鳴をあげていました。
(家族っていいね^^)

そんなときはおすそわけ。
持ちつ持たれつ、ご近所同士。
私はおばあちゃんが送ってくれた野菜ジュースがたくさんあるので、
野菜ジュースと物々交換。

柿やら、
みかんやら
じゃがいもやら
玉ねぎやら
かぼちゃやら

たーくさん。
収穫の秋!

今日は・・・

玉ねぎとトマトのスープに
温野菜サラダに
小松菜の玄米チャーハン

・・・を作りました☆

ああ、命が蘇る。
お蔭様で疲れもイチコロ。
ご馳走様ー!^^

そして、明日はずっと前から楽しみにしていたヒーリングタッチのワークショップだ。
http://httokyo.exblog.jp/i4/

いっぱい学んでこよう。

先日癌の腹膜転移による痛みでなかなか眠れなかった人も
お腹を触診するふりをしながら
このセラピューティックタッチ(ヒーリングタッチ)をすると
「暖かい手だなあ・・・」といって
すーっと眠っていきました。

これってすごいなあと思う。

ペンタジンやアタPやセレネースやロヒプノール・・・
お薬はいっぱいあるけれど
やっぱり体にたまると副作用がでてくる。
精神的にもよくない。

薬は必要なときは使わなければいけない。
けれど連日の投与であまり使いたくないなーと思うとき、
この技はすごく役に立つ。
不安の緩和などの精神的なケアにもなる。
何より、人の温もりが伝わるっていいなあと思う。
(触られることを嫌がる人も中にはいるけれど・・・)

人の体についてはまだまだ20%しかわかっていないと聞いた。
人の体の内と外をとりまく、生体エネルギーの存在。
これを解明して、扱うことを学んだ時、医療はどうなっているんだろう。
もっとぬくもりのある暖かいものになっているんだろうか。

未来が楽しみ。

2007/11/08

癒し


「いやす」とは、
救済と解放の力を持つ愛をもって
抱擁し、受容することです。
どのような時でも、
すべての罪を超える力強い愛をもって、
抱擁し、受容することです。

(ヨハネ・パウロ2世)

本屋さんで立ち読みしていた時に飛び込んできた言葉。すごく胸に響いた。
これこそが真の癒し、イエスが行った癒しなんだ。