今さらながらその恵みの大きさをかみしめてる。
でも他人だからこそ、そう思えるのかも。
家での介護はほんとに大変。
自分の親が認知症になってしまったら、 自分のことすら忘れてしまったらと思うとたまらない。
でも、多くの人が否定したがる「老い」という中にこそ、 神さまの恵みがたくさん詰まっているような気がしてならない。
そのことにもっともっと気づいていきたい。
最近出合った本。
素晴らしい本だと思った。
「100歳の美しい脳―アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち」
アマゾンのブックレビューから・・・
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著者で医師のデヴィッド・スノウドンはひょんなことから 修道院のシスターたちを対象に、老いと健康の問題、そして アルツハイマーの問題の研究にとりくむことになる。 本書はその研究におけるさまざまなドラマと最新の結果を 報告したものである。
一人の科学者として「研究対象」に対しては客観的に接しなければ ならないという思い込みは、シスターたちと接する中で 解きほぐされていく。
105歳のシスター・マシアにミトンをつくってもらった著者はこう いっている。
「100歳を超えるシスターとであったことで、それまで抱いていた 時間や老化の概念、それに幸せな人生に対する考え方が どれほど変わったことか。小さなミトンをみるたびに 私はその思いを新たにするのだ。」
年をとっても気持ちの持ちようや、自分のおかれた環境への 態度によって人間は幸福でありつづけられる。
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アルツハイマーという病気は、忘れてしまいたい過去ばかりか、愛する人々をも忘れていく、そしてそれに自ら気がついていく時の恐怖。 人類最大の病気かもしれないと、思ったものだ。
けれど文中の一人のシスターの言葉が心にしみた。
「たとえ私が神様を忘れても、神様は私をおぼえていてくださる」
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イザヤ49:15を思い出した。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。 母親が自分の生んだ子を憐れまないであろうか。 たとえ女たちが忘れようとも 私があなたを忘れることは決してない。 見よ、わたしはあなたはをわたしの手のひらに刻みつける。」
ああ、本当に神さまに信頼する人生って素晴らしいね。