2007/04/23

夫婦愛


病棟で働いていると実にいろんな人に会う。病気を患っていても精一杯生き抜いてきた人の笑顔は本当にステキだ。こっちが癒されてしまう。

その中でいいなあと思う夫婦がいる。もう余命いくばくもなく、日ごとに弱っていく夫の世話を続けている奥さん。

毎日汚れた洗濯物を持ち帰って、そして新しい寝巻きやオムツを持ってきたり、もうほとんど食べ物が喉を通らないのに、夫の好きなものを作ってきたり。家と病院の往復の単調な毎日。

私たちが見ているのはその人たちのごく一部だけど、彼らにはどれだけのことがあったんだろう。

戦争を経験して、結婚して、子供が生まれて・・・何十年も連れ添った夫婦としての最後の時間をとても大切に大切に過ごしている。 愛する人の弱っていく姿を見続けるのはとてもつらいだろうに。

でも、最後にその人が逝った時に最後まで看取りきったという思いはその人がいなくなった後でも大きな支えになるんだろうなあと思う。そして最後に思い切り泣いて、思い切り悲しむことができるのは幸せなことなのだろうなあと思った。

いろんな人を看取ってきて、最近よくそんなことを考える。

先輩が「やっぱり40になってもいいから絶対結婚しよっ!」って意気込んで言ってたのにはちょっと笑えた。夫婦愛っていいなあって思った今日この頃。

2007/04/09

Passion


日本史の中の有名人フランシスコ・ザビエル。
1549年 8月15日(旧暦7月22日) - フランシスコ・ザビエルらの一行が鹿児島に上陸、キリスト教日本伝来。

日本で初めてイエス・キリストのことを伝えようとしたフランシスコ・ザビエル。
ほとんど知られていない「十字架上のキリストへの祈り」という彼の祈りを読むといつも心がふるえる。

教科書でしか知らないザビエルがどれだけ熱い魂の持ち主であったか、地の果にまで行こうとしたザビエルのイエスへの思いがどれほど深いかが伝わってくる。

『主よ、私があなたを愛するのは
あなたが天国を約束されたからではありません。
あなたに背かないのは
地獄が恐ろしいからではありません。

主よ、私をひきつけるのは あなたご自身です。
私の心を揺り動かすのは 十字架につけられ、
侮辱をお受けになった あなたの傷ついたお体です。
あなたの受けられた恥ずかめと死です。
そうです。主よ、 あなたの愛が私を揺り動かすのです。

ですから、たとえ天国がなくても
主よ、私はあなたを愛します。
たとえ地獄がなくても わたしはあなたを怖れます。
あなたが何もくださらなくても 私があなたを愛します。
望みが何もかなわなくても 私の愛に変わることがありません。』

フランシスコ・ザビエル

2007/04/06

Mother Earth


ソロモン諸島で2日M8規模の大地震があったということをさっき、お母さんの電話で知った。最近ニュースを見ていなかったので、今さらながらびっくり。



みんな無事かな。心配・・・。私がソロモンに行った4年前の時点ですでに海面上昇が深刻な問題になっていたのに、それに加えて地震なんて。

なんだか、心が痛む。


先進国の人達がもたらした影響がなぜ自然の中で素朴に暮らしている人たちの上に起こらなければならないんだろう。海面上昇も、地球の温暖化も彼らのせいではないのに。

以前、赤道付近の島々の人たちが貧しい中からお金を出し合って自分たちの置かれている状況を知ってもらうために環境問題の国際会議、京都会議に参加したという話を聞いたことがある。けれど彼らの意見が聞かれることはなく、ただ自国の利益、経済を維持するために、自国の主張を繰り返し、温室効果ガスの削減に限りなく消極的であった某国。

ひどいと思った。でも私もソロモンに行くまで、正直地球温暖化の問題なんて考えたこともなかった。あるとすれば猛暑や暖冬になったときくらい。でも、ソロモンに行って本当に私達が地球の上に住んでいるんだってこと、すべてのものはつながってるんだってことを実感した。

環境問題をきちんと知って一人ひとりが取り組んでいかなきゃいけないことを思い知らされた。

ところで、カフェ巡りが好きな私は以前、国分寺にある「スローカフェ」というところにいった。そこでこんな話を知った。南米アンデスの「ハチドリのひとしずく」というお話。


「森が燃えていました。 森の生きものたちは、われ先にと逃げていきました。 でも、クリキンディーという名のハチドリだけはいったりきたり くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。 動物たちがそれを見て『そんなことをしていったい何になるんだ』といって笑います。 クリキンディーはこう答えました。 『私は、私にできることをしているだけ』」

とりあえず、小さなことから、私にできることからしていこう。南の島の友人たちのために。

どうか神さま、あなたを愛しているソロモンの人たちをお守りください。 救助を必要としている人たちが早く助け出されますように。 そして彼らにとって必要なものが早く届きますように。 自然災害や環境破壊の影響から彼らの生活を守ってください。 彼らの声が世界にもっと届きますように。 多くの人達、特にあなたを愛する人達が、あなたが与えてくださった自然を大切にすることを学び、そういった問題にきちんと取り組んでいけますように。

私の視野をもっと広く、大きくしてください。そうして海を隔てた兄弟姉妹ため、未来の子供たちのため、そしてあなたが造られた大きく、美しい偉大な被造物「地球」という星のことも考えて生活していけますように。



1971年、7月にアポロ15号で宇宙を飛んだジェイムズ・アーウィンは次のように書いている。


「地球はわたしたちに、クリスマスツリーに下げる飾り玉を思い出させた。暗黒の宇宙に吊るされた飾り玉、それが地球。ロケットが地球から離れるにつれて、それはどんどん小さくなっていった。 ついにビー玉、想像もできないほどきれいなビー玉のようになった。 あの美しくあたたかい生命体である地球が、 なんと壊れやすく、弱々しく見えたことだろう。 指で触れれば、こなごなに崩れて、ぱらぱらと落ちていきそうだ。 こんな地球を見たら、人間は変わらざるを得ない。 神がみずからこの宇宙を創造され、 愛していてくださることを感謝せずにいられない。」

すべての宇宙飛行士が、私達の住む惑星地球の言うに言われぬ美しさに、圧倒されている。そして必ず「どうしたらこのふるさと地球をもっと大切に守れるか?」という問いを発している。大切に保護することが必要な、二つとない小さな宝石であるこの惑星を宇宙から眺めるということは、生命の心もとなさ、人類は宇宙でただ一つの家族であるということ、神の視点、そして神の愛を明らかにしてくれる。それはなんて神秘的な体験なのだろう。

いつか私達にも、私達が住む星を外から眺めることができる日がやって来るのかもしれない。でも・・・外から眺め続けなければならない日が来ないことを祈っている。



ソロモンの家のベランダから見える夕日。
息を呑むような荘厳な眺め。何か音楽が聞こえてきそうだった。
ENYAのSUMIREGUSAなんて曲が似合うかもしれない。 
http://youtube.com/watch?v=RWvQYPfZ7gA

2007/04/03

You are loved


christianになって今年で7年目。神から私達へ語られる「良い知らせ」、すなわち福音。改めて福音とは何だろうって考えたとき、一言で言いあらわすとするならば、「あなたは愛されています」ってことなのだろうなあとよく思う。

私達は深く愛されている。

これこそが真実であり、他のいっさいは虚無に過ぎないと言ってもいいのかもしれない。

競争社会と呼ばれる現代の社会が私達に「あなたは価値のないもの、そうでなければその証拠をみせなさい」とどれだけけしかけたとしても、それは虚無に過ぎない。それでも、どれだけ容易に自分がこの誘惑に屈してしまうかを日々思い知らされている。

私達がこの誘惑に屈してしまったとき、イエスはとても悲しんでいるのだろう。どっちにしても、私達を陥れる本当の罠は神に愛されている自分を否定すること。そして虚栄とか高慢とか呼ばれるものとは自己否定の別の側面とでも言えるのかもしれない。高慢とは、自分が見ているような自分の姿を他人に見られまいとして、自分を高い位置に置こうとすること。突き詰めていえば、自分には価値がないという感情を別な仕方で表しているに過ぎないのかもしれない。

自己を否定する誘惑に苛まれたとき、そんなときこそ、「私は主から求められ、愛されている。」と繰り返してイエスが命をかけて私達に示してくれたその真理をきちんと受け止めていきたい。 それこそが彼が私達に一番伝えたかったことなのだと思うから。

この社会に適応できないとしても、生きている価値のない人なんていないし、生きなければいけない。 なぜなら私達を、この世界を造られた方がそれを望んでいるのだから。

日々の生活の中で神さまに祈り続けていると、私達がどれだけ愛されていて、私達は愛されるために生まれてきたんだってことがわかってくる。

私達一人一人がとても大切な存在で、私達を生かすために、自分の命をも顧みない存在が確かにいるということ。そして、その存在はいつも一人一人のそばにいてくれる。だから決してひとりぼっちになることはない。

深夜、病室をラウンドしていると、私の手をにぎって離そうとしない患者さんがいる。 さみしいのだろう。私はこのことを、病気に苦しみながら、孤独に耐えている患者さん、自分には生きている価値がないと思っている患者さんにどれほど伝えたいかしれない。

この言葉は旧約聖書・続編にある『知恵の書』に書かれているもの。私の好きな言葉。

「全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、
回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。
あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ。
すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる。」

「愛する者よ」と呼びかけるやさしい穏やかな声を繰り返し、繰り返し聞くことで、この世界によって歪められた自分ではなく、神さまに愛されているありのままの自分でいつもいられることができますように。

静けさのうちに心の耳を澄ませると、私の存在の中心から、こう語りかける声が聞こえてきます。

「わたしは、はるか以前からあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの、わたしはあなたのもの。
あなたはわたしの愛する者、わたしはあなたを喜ぶ。
わたしはあなたを地の深いところで仕組み、母の胎内で組み立てた。
わたしは手のひらであなたを形作り、わたしの懐に抱いた。

わたしはあなたを限りないやさしさで見つめ、
母がその子を慈しむ以上に、親しくあなたを慈しむ。
わたしはあなたの頭の毛のすべてを数え、
あなたのすべての歩みを導く。

あなたがどこに行こうと、わたしはあなたと共に歩み、
あなたがどこで休息しようと、あなたを見守り続ける。

あなたのあらゆる飢えを満たす食物を与え、
すべての渇きを静める飲み物を与える。

わたしはあなたから顔を隠すことはしない。
あなたは自分のようにわたしを知り、わたしは自分のようにあなたを知る。

あなたは私に属する。
わたしはあなたの父であり、母であり、
兄弟であり、恋人であり、配偶者であり
・・・そう、あなたの子供ですらある。

あなたがどこにいようと、わたしはそこにいる。
わたしたちを引き離すものは何もない。

わたしたちは一つである。」

2007/04/02

Mercy Ministries


                                                   
今は子供の虐待についてのニュースが後を絶えない。
子供たちが虐待の犠牲になって、成長してからもその深い傷の影響で破綻した生活を送らざるを得ない事が多く、精神を病み、薬物中毒、リストカット、引きこもり、売春、犯罪に走ってしまう。

Mercy Ministriesとは虐待やレイプや薬物中毒などによって心や体に傷を負って生活が破綻してしまった女の子たちを一時的に保護し、神さまの愛よって傷を癒し、そして社会で幸せに生きることができるように援助するというもの。

詳しくはHP見てね。(英語です)
http://mercyministries.org/
VIEDOもあります。
http://mercyministries.org/IntroVideo.html

Mercy Ministriesをはじめたナンシーアルコーンは当初政府による更生施設で働いていた。そこでは飴と鞭を使い分け、現代の心理学に基づいて、更生をはかろうとするものだった。

しかし一時的に表面の行動は変わったとしても、釈放された後は再び同じことを繰り返してしまう。しかも心理学者は、「あなたは小さいころから親に虐待を受けて育ちました。あなたの親もまた、虐待を受けて育ったのです。ですからあなたは自分の子供を虐待してしまう可能性が非常に高い。」と彼らを励ますのではなく、傷ついた心にとどめを刺さんばかりのことを言い続けていた。

そこには希望ではなく、絶望しかなかった。 ナンシーは更生施設での苦い経験から、人間は内面から変わることがない限り、自分の行動を変えることはできないと確信していた。

けれどイエスはすべてを理解することができる。
愛と憐れみによって傷を癒し、内面から造り変え、新しい心を与えてくれる。
そして親から子へと続く罪の連鎖を断ち切ってくれる。

イエスに導かれながらナンシーはMercy Ministries の活動を始めた。

その成果は目を見張るばかりだった。 驚くほどの速さで、女の子たちの傷が癒され、イエスによって内面から作り変えられ、生まれ変わることができた。生まれ変わることのできた喜びが彼女たちを満たしていた。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。」(Ⅱコリント5:17)


再び社会に戻り、その後も幸せな結婚をする人、マーシーに戻って、今度は立場を変えて、傷ついた女の子たちが癒されるために働くようになる人もいるという。

さらに、彼女たちを養い、保護するための施設や備品は使い古したもの、汚いものであってはならないとナンシーは言っている。

建物や家具は見た目もきれいで、美しく、自分がまるで大切な家族の一員だと思えるような『家』でなければならないと。そのために莫大な費用がかかるけど、Mercy Ministriesはすべて無料で行われ、活動は奇跡的にもただ献金のみによって支えられている。そんなことでやっていけるのかと思うかもしれない。でも今じゃアメリカのみならず、世界の各地にMercy Ministriesの施設が建設され、成果をあげている。

一体どうやって運営されているんだろう??

ナンシーはMercy Ministriesにあてられた献金による収入の10分の1を毎回「必ず」さらに献金するように神さまに語れたという。そうするかぎりこの活動は絶対に破綻することはないと。

仕事も、才能も、お給料も、すべては神さまからの贈り物。毎月、毎月、神さまからいただいたものの10分の1を神さまにきちんと返していくこと。そうしていくかぎり、いざというときもお金に困ることはなく、経済的にも繁栄するという。

「十分の一の捧げ物をすべて倉に運び、わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう。諸国の民はあなたたちを幸せな者と呼ぶ。」(マラキ3・10~)


神さまにいただいたものを、神さまにきちんと返していくかぎり、神さまはそれぞれの仕事で成功し、栄えるようにと私たちを祝福してくれる。

神さまの支えによって人間の努力だけでは決してできないような大きなことを成し遂げることができる。 Mercy Ministriesはその素晴らしい例であり、その活動は超自然的な方法で運営されているといっても過言ではないかもしない。

Rodさんが傷ついた女の子を保護する施設について時々話すことがあったけど、Jesus Life Houseの活動の一環としてMercy Ministriesを始動するために着々と準備がすすんでいるみたいだ。

お金もだいぶたまり、今は素晴らしい「家」が見つかり、そしてMercy Ministriesのために働く人が整えられるように、そしてこの日本で神さまの癒しを必要としている人々のために祈った。その時にこんなことを思った。

イエスは人を救うために、捕われ人を自由にするために どれだけ傷ついてきたのだろう。

けれど死をも滅ぼして復活するほどの圧倒的な強さを持っている。私たちのゆるぎない砦。

親殺し、子殺し、兄弟殺し、さらに堕胎・・・
カインの罪が横行し、死の霊が覆うこの現代の闇。

「死の影の地に住む民は大きな光を見、死の影の地に住む者に光が刺し込んだ。」

イースターの前のこの時期はイエスの受難を黙想し、犠牲をささげる期間。私の選ぶ断食はこれ。

「葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと
それを、お前は断食と呼び、
主に喜ばれる日と呼ぶのか。

わたしの選ぶ断食とはこれではないか。

悪による束縛を絶ち、
くびきの結び目をほどいて 虐げられた人を解放し、
くびきをことごとく折ること。

更に飢えた人にあなたのパンを裂き与え
さまよう貧しい人を家に招き入れ、
裸の人に会えば衣を着せかけ
同胞に助けを惜しまないこと。

そうすれば、あなたの光は曙のように刺し出で
あなたの傷は速やかにいやされる。
あなたの正義があなたを先導し
主の栄光があなたのしんがりを守る。

あなたが呼べば主は答え
あなたが叫べば 「わたしはここにいる」と言われる。」

(イザヤ58:5~9)

Message from Mother Teresa


クリスチャンになってから間もないときにマザーテレサのこの言葉を読んでとても心に響きました。本の中でイエスについて知るだけの私にイエス自身が語りかけてくれたように感じたそんなメッセージ。


『あなた達の中にまだイエスと本当に出会っていない人がいるのではないかと心配です。 一対一であなたとイエスだけでということです。


私達は聖堂で時を過ごしますが、
あなた達はイエスが愛を込めてあなた達を見ているのを
自分の魂の目で見たことがありますか?

あなた達は本当に生きているイエスを知っていますか?
本によってではなく、こころの中で彼と共にとどまることによって。あなた達はイエスが語りかける愛情のこもった言葉を 聞いたことがありますか?

恵みをもとめなさい。
イエスは恵みを与えたくて仕方がないのです。』

マザーテレサ