カンファレンスで流れた映像がYOUTUBEにUPされてました!
嬉しい^^。
この映像誰がつくったんだろう??
チャーチのみんなすごいなー。
イザヤ60:1-3の箇所がいつになく心に響きました。
そしてちょっと前、Rivaival Times Japan(リバイバル新聞)に日本に対する啓示を受けた人の記事が載っていました。
「2年前、私の妻ディアが日本について祈っていたときに日本の旗(日の丸)のイメージが与えられ、同時にマラキ書4・2の『・・・義の太陽が昇り、その翼には癒しがある・・・』という御言葉が与えられました。
鍵は日本の人々が神の愛と癒しについての啓示を受け取ることです。
それを掴んで立ち上がるとき、そのビジョンが増加し、他の国々にも影響を与えていきます。そして日本は他の国々に宣教師を派遣する鍵となる国となります。
長年アジアの人々は西洋諸国からの宣教師に頼ってきました。
しかし、私は今極東の宣教のムーヴメントが起こると強く感じます。
それは力と平和と義のムーヴメントであり、同時に「喜び」が鍵となります。
日本において「喜び」が解き放たれると感じます。
これまで喜びを抑制してきた鎖のようなものが打ち砕かれるときが今です。
そのことを通して癒しが解き放たれるのです。
多くのクリスチャンたちは聖書を最初に読んだとき、『イエスの行った奇跡は、イエスだからできたんだ』と間違った読み方をして、神の働きを制限してしまいます。 そして『聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます』という聖書箇所をさらりと読み飛ばしてしまいます。
けれども啓示を一度受け止めるなら、日本人のクリスチャンたちは止めることのできない勢いを得ます。」
自分の国のことだけにこう言ってもらえると嬉しい^^。
さらにカンファレンスにきてたアンドリューさんは日本のことを「眠れる巨人」だと言っていた。
だから、神さまは日本に対して「起きよ」って言ってるんだね。
でも、何故か日本に対する預言を受けている人って日本人以外の人が多い。何でなんだろう?
それに日本人以外の人が日本のために祈ってくれてるって・・・なんだか不思議な気持ち。
みんないい人だなー。本当にどうもありがとう!
私は自分ことでいっぱいいっぱいで自分の国のことさえもちゃんと祈ってないよ。
ほんと日本人こそ(私も)がもっともっと自分の国を愛して、この地に神さまをもたらしていかないとね^^。
疑い深い自分から早く卒業して、 神さまの言葉を信じて、ちゃんと受け止めていきたい。
聖霊の賜物をいつも追い求めていきたい。
私も眠いけど起きなくちゃねー
前にのぼるさんがメッセージで言っていたように、
起きるっていうのはただ目を開けることではない。
「起き上がって、動け」っていうことだ。
気持ちのいいお布団から抜け出すのはなかなか決断力のいること。
目覚ましアラームが・・・とめなくちゃ。じゃなくて、起きなくちゃ。
神さまー。
2008/02/25
看護は祈り
最近夜勤がきつい。
そして人数が少ない夜勤中の急変はかなりきつい。
後輩が受け持っていた患者さん。
消灯過ぎからなんだか様子がおかしいと言っていて、結果的にナルコーシスだったんだけど、もともと発達遅滞のある患者さんで、これが普通の状態なのか、レベルダウンなのか判断つかず、SATもよかったので余計に異常だとわかりづらかったみたいだ。
とりあず当直医にCallして、血ガス、頭部CT。
血ガス結果をみてあわてて緊急挿菅。
(兎にも角にも、呼吸器系患者さんのレベルダウンはCO2ナルコーシスを疑うべし!)
主治医も飛んできて、家族も呼んで。
病院にあるレスピが全部出払っていて、こんなのまだあったのかというような古い型のレスピしかなく、あろうことにそれがうまく作動せず、モニターの波形を見るとだんだんST上昇。(げげっ!)
アンビューをもんでいる間、新婚さんのMEさんを夜中に呼び出して(悪いね、申し訳ないね・・・)なんとかレスピにのせることができたようだ。
先輩と後輩が夜中の0時に挿菅やらレスピ装着におわれている中、私は外回り。 0時はシメの時間なので余計に忙しい。
ようやく落ち着いたのは5時過ぎ。
ゆっくりと休む間もなくもうバイタルをとりにいかなくちゃいけない時間。
今度は朝の喧騒を突っ走り、日勤さんにバトンタッチし、すべてが終了した頃には精魂尽き果てました・・・
つ、疲れたー!
(でも勤務終了後、私の外回りが評価されて少しうれしかった。)
けれども、こんなにもきつかったのに、次の夜勤の時はさらにパワーアップしていた・・・。
毎年のことだけど1月2月は重症の患者さんが多い。
呼吸器系、循環器系の疾患をもつ患者さんにとって今の時期はこの冬乗り越えられるかどうかの瀬戸際なのかもしれない。
こっちもいつになく重い連日の勤務に少々へばっております。
横になったが最後、強力磁石でも床についてるかのようで、
立ち上がることができない。
けれども患者さんも家族も本当にがんばってると思う。
呼吸不全でレスピをつけているおじいさんの患者さんがいる。。
挿菅チューブが入っているので、話すことはできないけど、ちょうど目を覚ましていたので、患者さんに「奥さん美人だね^^。早くよくなって帰ろうね。」なんて声をかけるとニカッと笑ってくれた。
やっぱり帰りたい場所がある人って強い。
お互い今が踏ん張りどころだ。
そしてこんな時だからこそ、仕事前にいつもよりちょっと長めにお祈りをして、自分のいる病棟に神さまを呼びます。
病棟の廊下に、患者さんの部屋に、ナースステーションに。
そして今、神さまを最も必要としている患者さんのそばにいてくれるように、お祈りの中でJesusに頼みます。
これがかなり効く。
これをするのとしないのとでは病棟の雰囲気がまったく違ってくる。
お祈りも看護の一つ。
患者さんにとっての「最善」のために祈ること。
そして命そのものである神さまを患者さんのそばにもたらすこと。
これは大事な看護の一つだと思う。
「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)
以前ナイチンゲール記章を受けた
今は亡きSr寺元が「看護は祈り」だと言っていた。
祈りに始まり、祈りに終わる。
私の看護もそうでありたいと思う。
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